苦しみから逃げてたら、一番苦しい道で戦わざるを得なかった男のバカ話➖苦バカkurubaka➖

略して、『苦バカ(くるバカ)』。笑ってやってくれると、学んで先に進んでくれると嬉しいです。

人生無双の道 第3関門「③有機生態系の力」

3つ目の力。「③有機生態系の力」。
この力は手強い。なぜなら全ては解明されていないからだ。
しかし恐れることはない。一歩ずつ一歩ずつだが、確かに前に進んでいる。
どうか、この旅を楽しんで欲しい。

初めましての方は、この先を読むにあたって、まず前段のお話に目を通していただければ嬉しいです。
※以下の内容は、今年4月に大学生になる従兄妹に向けて、今自分が伝えられる最大限をまとめたものです。実際に話した後に気づいたことも、編集して文章に織り込んでおります。

 

 

忙しすぎて、自分が生物だということを忘れていた。
どんなに頑張ってもコントロールできない領域のある有機生命体だということを忘れていた。

このことに気付いたのは、忙しさから脱落して、数ヶ月後のことであった。

貴方が今、忙しくないとしたらよく理解してほしい。今もまさに、成長していること。寝る子は育つ。あれは、たぶん本当だ。「たぶん」なんて歯切れの悪いのは、こと詳細が解明されていないからである。何もしていないように見えて、何かしている。貴方は暇かもしれないが、実は脳は忙しくしているかもしれない。

脳科学では、こんな概念がある。その名も「DMN」。「DMN」とは、デフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network)のことであり、脳が一番働いているのは、考え事をしているときでも、判断を下す瞬間でもなく、何もしていない時であるそうだ。瞑想やマインドフルネスができる人は、その人間に脳が活性化されていると言われている。

何もしていない時間が一番脳が働いている。なので、暇を潰してはならない。暇は何もしないことを楽しむことが、脳のためかもしれない。何もしない事が1、2ヶ月続くと、だいたい湧き上がってくるものがある。私がそうだった。絶望のふちに立たされて、不安で、生きたくない、楽しみが毎週の少年ジャンプのワンピースか、ヤングジャンプのキングダムの連載ぐらいしかなく、どちらも大先生なのでたまに休載なんかもあって、さらに絶望したりしていた。しかし、何もやらないで、健康的な生活をただ送っているだけで、結果湧き上がってきたのだった。おそらく、DMN(デフォルトモードネットワーク)働いていたのだろうと、1つ納得のいく解釈をしている。

スピリチュアルを語れるほど、精通していない。私が話したいのは、まだ全ては解明されていない生物科学の話だ。

近代は、科学の発展が進み、人間が理解できる領域が広がった。人間は時代とともに何もかも認識し、コントロールできることを増やし続け、そして、地球の支配者となった。

その地球の支配者は、いま、どうしているか。

地球温暖化感染症、天災、異常気象、など。自然に悩まされている。これだけではない。自分たちが生み出した、幻想・虚構・フィクションの人工的な概念(ガイネン)にも頭を悩ませている。経済成長、格差、法と規制、ジェンダー、など。全て悩みのタネになっている概念がある。貨幣、個人・プライバシー、約束、国家、人権、普通や常識などといった存在しない魔物、を生み出しては、手を焼いている。

支配していると思い上がった人類は、もはや、自然や過去に生み出した人工物によって支配されている。人類は、地球に家畜化されているのかもしれない。

このことでわかるのは、自然の力が、人間の叡智(エイチ)を凌駕(リョウガ)しているということであり、自然には敵わないということだ。

そして、アートという領域も同じく、解明され尽くされていない。人工物であり、完全に理解されていないのである。AI(Artificial Intelligence)もそうである。(アーティフィシャルの語源は、アートで、人工物という意味もある。サイエンスもある意味でアートなのかもしれない。)AIの計算過程は、ブラックボックスと言われている。黒い箱だ。どうしてその答えになったのか、研究者でもわからない。なぜなら、全ての過程について膨大すぎる量の処理をしているので説明がどこまで行っても足りない、つまり説明不可能なのだ。

これから、読もうとしている本にこんなものがある。『なぜ脳はアートがわかるのか/エリック・R・カンデル』ノーベル医学生理学賞を受賞した脳神経学者の本だ。アートを脳科学的に解明できているところまで解明してくれる本らしい。読んだら後日記事に残そうと思う。ぜひ私より先に読んで、この先で待ってて欲しい。

 

 

アートがアーティストでしか理解できないものであれば、大半の人がアートの理解に苦労するか、アートは天才のものだと壁を作ってしまう。人工物が科学的に完全に解明されてないということは、AIが理解されないのも、私や貴方の感情や文章が完全に理解されないのも、人間が生み出す生命活動の全ては完全に理解できないことになる。「理解できない!」と匙(サジ)を投げることもできる。科学的でない態度に逃げることもできる。

私たちがどうであれ、科学は確実に前に進んでいる。勘違いしてはならないのは、全自動で進んでいるわけではなく、科学者や研究者が、地道に、前に進めているのだ。科学的態度による日進月歩というやつだ。

先程のことは、科学的な態度をとればこう捉えることもできる。

人工物は、科学的に完全なる理解はされていないが、少しずつは確実に解明されてきている。AIも人の感情、文章も、人間の生命活動の神秘も、全てはわからないが、少しずつわかってきている。ならば、まずはわかってきていることから付き合っていけばいい。そして、いまわからないことは、いまわかろうとしない。

「③有機生態系の力」の力の本質はこうだ。

手を加えられる影響力の範囲のみ、手を加えて、
有機生態系の力を信じて、待つ。

 

これが有機生態系の力の理解だ。AIやインターネット、人工物については、前に紹介した本で『複雑系』としても語られている。有機生態系は、複雑系としても考える事ができる。その逆も然り(シカリ)だ。

 

 

これらの話を、なお、スピリチュアルと思う人も中にはいるかもしれない。スピリチュアルは便利なコトバで、何にでも使える、どんな食材にも合う、マヨネーズみたいなやつだ。その便利さは、人を豊かにすることは間違いないが、科学的態度の匙を投げてしまったと思われても仕方がない。

スピリチュアルと科学の違いは、人類の前への進ませ方にある気がしている。スピリチュアルは、根拠のない自信、認識の捉え方を変える、気付いて1人から始められる。一方、科学は、根拠のある自信、これは1人では始められない。先人たちの知恵を利用して、その上に一段一段築いていく。

好き嫌い、何を信じるかは貴方の自由だが、私は科学や科学的態度に尊さや慎ましさ(ツツましさ)を感じる。研究するために、面倒な手続きを踏まねばならないこと、前例の研究をとにかく当たること、効率が悪いと言われてもデータを地道に取り、そのマナーを守り、人類という歴史書を1ページでも前に進めようとしていること。そして、それらが大勢の人に知らぬうちに還元されているにも関わらず、多くの人にとっては仕組みや論理が難しく伝わらないという寂しさをかけながらも、証明することにこだわる健気な姿勢に尊さを感じざるを得ない。

有機生態系の力は、まだ解明されていない力で、説明しようと思えばいくらでもできるが、今回は概要だけにしようと思う。今後はいろんなキーワード、切り口で詳しくお話しできればと思っているので、そのキーワードを先に紹介しておく。

「コネクティングドッツ、点と点をつなげる」
グローカル&ウェイト」「影響力の外側」
「発酵(ハッコウ)の力」「森を育てるには」「複雑系

気になった方は、ピンときたキーワードで調べて学ぶのも楽しいはず。

最後にあのアイドルを引き合いに出して

最近、私が有機生態系の力を感じた、グループアイドルについて話をさせて欲しい。

アイドルは、総合芸術、社会彫刻だとか、現象込みで語られる事が多い。

私は今になって思う。

グループアイドルは、有機生態系であり、森だ。


良質な木々を育て、環境を作り、鳥や虫をこの地に運び、適切な手入れを怠らず、森が育つ。

最初は良かったが、荒れ放題になってしまった森。
渇き切った荒地から開墾(カイコン)して、1つの村、それ以上の繁栄を見せている森。
森の拓き(ヒラき)方も閉じ方もそれぞれ。

BiSH(ビッシュ)というグループアイドルにハマっている。恥ずかしながら最近の話だ。弟の影響だ。ありがとう弟。

BiSHはこの観点から言うと、良質な森になりつつあるのではと感じる。

アイナ・ジ・エンドのソロでの躍進。大衆を相手にする意思表明として衣料量販店GUとのコラボレーション。同レーベルの妹分の活躍。ファンと作り上げてきた自信と実力。高く優しいファンの期待値。アイドル市場の緩やかな減退野中で1つの答え、希望。(他にもあるだろうが。)

魅力は、この全ての現象であり、ファン一人一人の人生を含めた、この森にある。

そして、この森が良質であるということは、私が保証する。誰に保証されなくても良いのだが、保証したいと思う。これがリアルなファン心理な気がする。と、今朝書きがながら気付いた。

noteっぽく、BiSHの2020年のアルバム表題曲「LETTERS」の魅力を3つのポイントで伝える。

①コロナ禍で制作された楽曲である

②青天井の人気絶頂真っ只中の1曲である

③一人ずつ歌うスタイルを踏襲(トウシュウ)してきたBiSHが、ユニゾン(合唱)でサビを歌うエモさ(これは好きになればなるほど理解される、最大の魅力)

 

こんなときこそ僕ら まっすぐにぶつかり合おう
立ち向かう厳しさを バカにしないでくれ

すべて届けるよ胸の中 ダサい姿も全部晒そう
あなたいるこの世界守りたいと叫ぶ
見えない明日は待たない 今もあなたの無事を祈る

LETTERS/BiSH

 

人生無双の道 第2関門「②幻想・虚構・フィクションという力」

2つ目の力。「②幻想・虚構・フィクションという力」。

初めましての方は、この先を読むにあたって、まず前段のお話に目を通していただければ嬉しいです。
※以下の内容は、今年4月に大学生になる従兄妹に向けて、今自分が伝えられる最大限をまとめたものです。実際に話した後に気づいたことも、編集して文章に織り込んでおります。

 

kurubaka.hatenablog.jp

 

つかみどころのないこの力を認知、すなわち気づいたかどうかで、人生が変わってしまう強烈な力である。知っているだけで人生が変わる。なんて、使い古されて、もはや価値のないコトバにも聞こえて残念なのだが、私の人生は、この力によって一変したのは間違いない。そして、私のように電撃の走るような経験をしたくば、私の文章を読んでいる場合ではない。原典に当たって欲しい。

『サピエンス全史』は、上巻だけでも十分、この力を理解できるし、物事の見え方が、それまで過ごしてきた世界と変わったように感じるはずだ。優れた本には、書評や解説動画が世に転がっているが、是非、原典である本に当たって欲しい。どうやっても、分かりやすかったとしても、原典を超えられないというのが世の常だ。百聞は一見に如かず。貴方が20歳、または若い世代なら、読んで、調子に乗っていそうな大人にこう言ってみればいい。

「〇〇さん、サピエンス全史って読みました?わたし、今上巻を読んでいるんですけど、あれ面白いですね!」

このコトバの反応で、その人のおとな度合いがわかる。まず、読んだか読んでいないかで、知的好奇心がどのくらいあるかがわかる。サピエンス全史は、つい最近累計発行部数を100万部突破したようだ。ベストセラーは間違いない。しかし、日本人口の1%の人しか読んでいない。読んだ貴方は、そのふるいにかけることを許される。

知的好奇心とは、ツラの皮膚の厚みのことだ。(極端)知的好奇心がある人は、皮膚の厚みが薄く、他人の意見(それが部下のものだったとしても)聞き入れてくれやすい。

そして、読んだかどうかで、その人の誠実さが分かる。自分のために努力できる人なのか、どうか。読んでいる人は、もちろんツラの皮膚が薄い。

そして、読んでもないし、知ってもいない、けれど詳しく聞かせてと言ってくる大人もいる。彼らは開放性が高く、努力は怠るかもしれないが、世渡りが上手な大人だ。この人もツラの皮膚が薄い。

※知的好奇心、誠実性、開放性のような話は、メンタリストのDaigoさんのビッグファイブの話を調べると、面白いと思う。

そして、それらの逆を行く人たちは、ツラの皮が厚く、人の意見を受け入れるのには時間がかかる。カサカサの皮膚には、もはや化粧水が絶望する状態になっている。この状態のことを世の中は、おじさん、おばさんと呼んでいたいたりする。笑ってみている貴方も気をつけなくてはならない。時間の経過は皮膚を厚くする。脱皮しなくてはならないが、その話はまた今度にしよう。

話が逸れたが、サピエンス全史を読むことは、価値があるということは私が保証するが、そうは言ってもブログをみているんだから、端的に教えてくれよ、ということもわかっている。一言で言いたくないが、あえて一言で言うならこうだ。

「人間は幻想・虚構・フィクションの力を知った唯一の生物だからこそ、地球上の支配者として君臨している。そして、その力を利用できたものが、多くの人間の上に立つことができる。」

後半は私の解釈も若干入っているが、端的に言うとこうなる。

 

そして、もう1冊。『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』は、実に実用性の高い本だと私は思う。どんなビジネス本を買うより前に買うべき本だと思う。サピエンス全史が「②幻想・虚構・フィクションという力」の有用性を歴史的、人類史的に、読み解いてくれるので、その後に、この実用書を読むコンボが最強であると考えている。

そして、実はこの本は5章までWEBで無料公開されている。大体、私はこの力を誰かに説明するときにサピエンス全史を口頭で解説し、ふろむださんのこの本を紹介し、あとでLINEでリンクを送っておくというコンボ技を使っている。コスパの良いやり方だと思っている。本を買うのは、本人に任せることが多い。しかし、サピエンス全史読んでからの、ふろむださんの本を5章まで読んだら、大体は欲しくなってしまうのだが、笑。私は買っては、人にあげたりしている。余談だが、ロングセラーの本は、大体同じ人がプレゼント用にことあるごとに買っているからロングセラーになっているんだとその時に体感した。私はどうやら、おじさんの道へちゃんと向かっているようだ。

この本に書かれていることは「錯覚資産」についてだ。運より、実力より、この錯覚資産の有無が、人から選ばれる、力があるように感じてしまう、そういうことが書かれている。

ぜひ、私の文章より良質な2冊の文章を読んで欲しいのだが、ここまで読み進めてくれた貴方に私の考えを伝えたい。

幻想・虚構・フィクションは、人と人を分かり合えるようにする道具であり、人と人を分かり合えなくする道具でもある。国という概念は、日本人の連帯感を生むかもしれないし、他国との差別を生むかもしれない。お金の切れ目は縁の切れ目であり、雇用関係は赤の他人を家族同然にもする。母校は胸を熱くさせる故郷かもしれないし、妬みひがみの対象になるかもしれない。

どう生きたって人間は、幻想・虚構・フィクションの下で生きることしかできない。貴方が幻想・虚構・フィクションに対してできることは2つだ。

「他者や他社がつくった幻想・虚構・フィクションの下で生きる」か、「貴方が幻想・虚構・フィクションという力を使って、あらゆる自分に降りかかるこれらを時に上書きし、生きていく」か。

他人に囚われない生き方は、後者だ。他人に囚われない生き方ができるようになると、逆説的だが、大事な他人に囚われて生きていくこともできる。もちろん囚われないで一生生きていくこともできて、それもたくましいことだが、大事な人だけに囚われるのも悪くない。恋は盲目。誰かがそう言っていた。

誰に恋したっていい。ただ、その恋心を悪用する人たちにだけは、ハマってほしくない。信じていたものが崩れる瞬間、信じていた私自身も崩れる気がする。前者の人生は、その瞬間に立ち会うことが多くなることを覚悟しておくといい。それが嫌なら貴方自身の手で、幻想・虚構・フィクションを書き換える力を持つべきだ。

貴方を虜にしている、幻想・虚構・フィクションはなんであろうか。おそらく、当たり前すぎて、気付けないことも多いはず。信じていることを疑う作業は、信じていることにフォーカスしていると気付けない。信じているものに対して、矛盾はないかチェックすると意外にも気付くことがあるはず。ここで①矛盾することを受け入れる力が役立ってくれるはず。

少し、今という時代について話す。昨日まで大好きだった人が、夜が明けたら嫌いになっているということが、よく起こる社会になった。炎上という現象だ。しかし、これはよく考えてみて欲しい。報道があって、ニュースになって、嫌いになるなんてあって良いことなのか?昨日までの好きだった、尊敬していた、あの気持ちは嘘になるのか。0になってしまうのか。私はそうでないと思う。

炎上するようなことが起きて、正しい自分の感情は、「大好きだけど、何やってんだよ。そんなことするなんて嫌いだ。」ではないか。好きと嫌いは、同居できる。これも①矛盾することを受け入れる力かもしれないが。世の炎上騒ぎには、本当に好きだった人たちの感情が報道から欠落しているので違和感を覚える。メディアに出ている否定派も、肯定派も、便乗商法の片棒を担いだ人間様だ。本当に好きだった人は、呆然と立ち、受け入れられない矛盾した感情を噛み締めて、自分の人生を生きているはずだ。自分の影響できる範囲を弁えて(わきまえて)いるからだ。ジタバタしたところで事態は変えられないとすれば、できることは、噛み締めて、受け入れて、潔く前に進むことだけだ。

幻想・虚構・フィクションという力、時として、人の人生を狂わしかねないものを持っている。取扱注意であり、用法用量を守らなければ、依存という状態になりかねない。一方で人を幸せにすることもできる、目には見えないが確かな力だ。

私の好きなコトバがある。「仙人は霞(かすみ)を食って生きている」。人間がこれまでも進化し、これからも進化を続け、その先の人類は、霞を食べるだけ生きていっているのかな、そんな妄想もしてしまう。食べられないものを食べられるから、人間は人間らしくいられるのかもしれない。

ただ 空々しさの中
夢を見る

ああ 僕らは
いつまでも間違ったまま
世界を変えて走り出す
ふざけた愛しみを味わったまま
やめない意味は
いつの日も寂しさだ

サピエンス/星野源

 

人生無双の道 第1関門「①矛盾することを受け入れる力」

人生無双になっていたかもしれない3つの力の1つ目について、お話ししようと思う。

初めましての方は、この先を読むにあたって、まず前段のお話に目を通していただければ嬉しいです。
※以下の内容は、今年4月に大学生になる従兄妹に向けて、今自分が伝えられる最大限をまとめたものです。実際に話した後に気づいたことも、編集して文章に織り込んでおります。

 

kurubaka.hatenablog.jp

 

さて、今日の方が、昨日の文章より長いので時間がある時に読んでほしい。ふざけるな!というご意見は、ゆっくりと時間をとってから聞く。まずはやるべきことを済ませてからお会いしよう。

 

まず、この第1関門が、とにかく難しい。しかし、受け入れると拒否するでは、人生をより善くできるかどうかの分かれ道にもなることを覚えておいて欲しい。

 

そもそも、矛盾という漢字は、そのまま攻めの矛と、守りの盾という字だ。多くの大人は、どちらかを選択して、もしくはどちらか一方を諦めて、旅へと出発する。なぜなら、村の長が「ここから選んで、先へ進みなさい。神の御加護よ。」そんな感じでお声をかけてくださり、周りの同士も皆それに従った。

 

しかし、外の世界には、矛だけでは体力がもたない相手も、盾だけでは歯が立たない敵がいる。そこで考える。矛を持っている自分と、盾を選んだあの人で組めば、世界を救えるかもしれない。そして、相互補完して前に進んだりしている。しかし、最初は上手くいくと思っていたこの補完関係も危機をむかえる。

 

例えば、経験値の配分だ。「どんな敵が現れても、経験値は半分こな!」そう決めて始めた旅だが、いつしか矛の自分しか頑張っていないことに気付く。「おい、お前も同じ経験値もらってんだから、ちゃんと働けよ!」そう言うと、あちらはこう言う。「私は盾を持っているんだから、同じようにはできない。貴方が攻撃を受けそうになったあの時、私がいなかったらどうなってたかわかる?」。2人は分かり合えていたはずなのに、いつしか分かり合えなくなっていった。

 

この後の話の展開は、どうなっただろうか。人によって描くストーリーは異なるだろう。確かにわかることは、貴方とその周りの人たちはこの後異なるストーリーを歩んでいる。

 

さて、私もこんな経験がある。最初に感じた同じような経験はゲームだった。幼稚園の年中か年長かに、買ってもらったゲームボーイポケモン緑。ゲームの一番最初に、オーキド博士から3種類の中から1匹好きなポケモンを選べと言われる。私は絶望した。リザードンカメックスフシギバナと、そしてピカチュウを従えたサトシ(アニメ版の主人公)を超えてやろうと本気で思っていたのに、ゲームの冒頭でこの夢は崩れた。そのあとは惰性でポケモンを選びゲームを進める。結局ゲームを進めるうちに、代わりになるポケモンがイッパイいて、捕まえては最強の布陣を組んだ。6匹までしか選べなかったのは、それはそれで絶望した。しかし、最後には納得のいく形になった。

 

ここで話を少し戻す。私は納得のいくポケモン6匹を選んだように見えるが、本心、本当のところはどうだろう。リザードンも、カメックスも、フシギバナも、ピカチュウも選びたかったあの気持ちに嘘をついていないかと。3匹から1匹しか選べない、そういうゲームなんだから仕方ない、諦めよう。本当にそれで納得いっているのか。

 

私はその後の人生においても、この答えがわからないまま、引き裂かれるような矛盾のうちでどちらかを選んできた。中学受験かこのまま進学か、部活に入るか入らないか、部活を辞めるか辞めないか、彼女か友達か、文系か理系か、就職か大学院か、攻めのA案か守りのB案か、人生は選択の連続というが、本当にそうだと思う。そして、毎回選んでは、引き裂かれる気持ちになった。

 

それは、ポケモンの原体験があるからだ。ヒトカゲリザードンの進化前のポケモン)を選ぶと言うことは、逆を言えばゼニガメフシギダネを見捨てると言うことでもある。しかし、見捨てなければ、いつまで経っても、はじまりの村マサラタウンから外へ出れない。ポケモンの世界で、引きこもりになるわけにはいかない。見捨てて町を出るが、引き裂かれる思いは残されたまま。色々な刺激によって、その引き裂かれた思いは忘れていくが、私はその後の人生においてずっと、その思いが残っていたか、同じように引き裂かれそうになった。

 

しかし、今は違う。なぜなら、「矛盾を受け入れる力」を手にしているからだ。

 

どちらか選ばないといけないことがあっても、より善い選択ができると信じている。つまりどう言うことか。矛か盾を選ばないといけない場面に遭遇した時、矛も盾も手に入れる方法を探るのだ。ちゃぶ台返し

 

「どちらか1個って言われているでしょうが!バカ男!」「ルールを守れ!」そう非難されるかもしれない。ありがとう。これから、ひらりと、強かに、私の答えを見出していく。

 

まず、どちらか1個を選ばないといけない、とは誰が言っているのか。そして、どんな意図で制限をかけているのかを探る。実は、大した理由がなく、これまでもそうしてきたから、と拍子抜けするかもしれない。他には、矛と盾の生産数が限られていて、誰かが2個選ぶと、受け取れない人が出てくる、みたいな話かもしれない。その時は、なぜ生産数を増やせないのか、どうすれば、増やせるのか考える。少なくとも、矛と盾の貯金がないその村はヤバそうなので、生産体制を整えるのは村の存続に必至だ。と、実は選ぶことにフォーカスしていると気付けない、Aのヒトカゲでも、Bのゼニガメでもない、ウルトラC(決してフシギダネではない。)が隠されているかもしれない。

 

間違えてはならないのが、「矛盾していることを受け入れる力」とは、与えられた選択肢に抗わず、平穏に選ぶ、僧侶的な発想ではない。それは、「矛盾していることを受け入れる」だ。自分という人生の小舟で佇むという、また違ったスキルだ。(これはこれで重要だが、ここでは割愛する)

 

私が貴方に贈るのはオールであり、力である。推進力に変換しないことには、自力で前には進めない。さて、ここまでが「①矛盾していることを受け入れる力」の重要性と説明だ。人は納得しないと中々行動に移せない生き物だ。私がすでにそうである。

 

それでは、この力の養い方を授ける。改めて言っておく。言うは易く行うは難しだ。今日教えてもらって今日発揮できる代物ではない。鍛錬(タンレン)が必要だ。では、お伝えする。この力を分解するとこうなる。

★極端を知る
★その極端・ことの本質を分析する
★本質同士を戦わせ、アウフヘーベンさせる

 

それぞれは、1つの記事ぐらいのボリュームで解説できるだろうが、ここでは端的に説明する。説明されていないことは、貴方の思考で補完して欲しい。私がコトバに起こしたとして、一番納得のいく解釈は自分しか生み出せないということも覚えておいて損はないはずだ。(書くことをサボる言い訳に聞こえたら、申し訳ない。旅を続けることは約束する。)

★極端を知る

簡単に見えるが、難しい。人は偏見のある生き物だ。偏見をなくすことはできない。しかし自分の偏見、指向、性癖が理解できていれば、矯正することができる。軽量機に器をのせて、プラマイ0のボタンを押すように。言うは易し。これは非常に難しいことだ。だが、本当の他者理解は、自分を介さないとできない。極端を知ると言っても、自分の器を知ることにもなるだろう。

★その極端・ことの本質を分析する

意見と意見はぶつかり合う。これは仕方がない。しかし、意見の本質、本当に伝えたいメッセージは分かり合えるかもしれない。見えている意見、コトバだけが全てではない。コトバは足りない。いつだって足りない。だから、思考で補完する。これが本質思考に近づく道に思う。そして、意見が出すことになった原因ともなっているお題そのものの本質を見るべきでもある。矛と盾かを1つ選べとは、どういうことなのか。

★本質同士を戦わせ、アウフヘーベンさせる

議論は全てアウフヘーベンの前フリだと思っている。AかBで悩んでいる、言い合っているその時間はウルトラCを見出す時間だと、アウフヘーベンを調べれば色んなことがわかってくるはずだ。

第1関門のおわりに

第1の関門がとりあえず終わった。どうだっただろう。長かったかもしれない。私も、長く感じた。だが、まだ一部であり、難しく伝えているとも思う。ぜひ、貴方の思考で補完しつつ、人生を切り拓いていって欲しい。それは、心からの願いである。

 

明日と明後日で、残りの2つをお伝えしようと思う。どうか私の旅に乗っかって、そして、自分の船を漕ぎ出してくれることを祈っている。

 

今日は、地元の長野県上田市で別所線という電車が再び走り始める。2019年の台風19号で、川に落ちた線路がやっと復旧する記念すべき日だ。どんなに苦しい日々が続こうが、1つ1つ丁寧にこなしていくことで未来は切り拓ける。そう勇気づけられたのだ。

 


SHISHAMO「人間」

 

20歳の時に気づいていれば、人生無双になっていたかもしれない3つの力の話

2021年3月末。いよいよ新生活が始まる。

ワクワクしているだろうか。モヤモヤしているだろうか。ソワソワしているだろうか。多分、全部だと思う。

私は、上京して家族総出での引っ越しが終わった後、ひとり東京に残り、ワンルームのアパートの布団の上に座って、この混沌とした感情を感じていたはずだ。

なんでもできると思っていた。でも、なにもできないかもしれないとも思っていた。

現在、私は29歳で、この混沌とした時代で20代を過ごしてきた。

貴方に渡せるバトンがあれば、渡したい。受け取るものはお任せする。貴方の人生が豊かになりますように。祈り、文章を書く。 2021年3月27日、鼻をツンと刺す冷たさと、陽だまりの中で。

※以下の内容は、今年4月に大学生になる従兄妹に向けて、今自分が伝えられる最大限をまとめたものです。実際に話した後に気づいたことも、編集して文章に織り込んでおります。

改めて、20歳や18歳のこれから輝く若者に贈るメッセージとして、「人生無双に近づく3つの力」を認識する、理解する、育み始めることをやってみるといいのではと思いここに書く。

まず、この3つの力を説明する前に、この力がいかに重要かを理解するために、結論を急がず、ゆっくり説明していく。とは言ってもこの文章は5分ぐらいで読めてしまうのではと思う。(私は40分ぐらいかけて書いているが笑)

この3つの力、実はほとんどの大人が認識できておらず、よく理解もされていない。できる大人(素敵だなと思う大人)とあの人なんか嫌、あんな大人になりたくないと思う大人を隔てているものにも思う。もし貴方が20歳を過ぎてしまったとしても安心して欲しい。ほとんどの大人がその道の延長線上にいる。その道は、渋滞になっていて、いつでも間に合う。そして、その渋滞の先に、何があるかわからないまま、真面目に、キレイに、お行儀良く人々は並んでいる。ふと周りに目をやると、世界は広がっていて、スポーツカーに乗る人、キャンピングカーでどこか旅に出る人、ジェット機であらゆる地域を行ったり来たりする人、素敵な大人たちも見える。この渋滞の先にこの素敵な未来が待っていたらいいな。そう願う、祈る。

しかし、残念ながらこの渋滞の先は、老人につながっている。老後の人生だ。ついに、ジェット機で飛び回れなかったし、スポーツカーに数日はレンタルか何かで乗れたのかもしれないが、素敵に思えたあの人のように乗り回せていなかった。そして、若い子にはこうしか言えない。「この渋滞は長く苦しいこともある。だけど、悪くないわよ。」と。人は、自分の人生からでしか、モノを言うことができない。渋滞待ちの人生は、渋滞待ちがいかに善いモノであるか、渋滞待ちの暇つぶしの方法、ぐらいがアドバイスの本質になってしまう。渋滞待ちを目指す若者には、金言だが、多くの大人が悩んでいるのは、「私が金言だと思って話している教えが響かない」という。ここまで読んでくれた方は、理解していただけたと思う。

若者はまだ人生に希望を持っているのだ。そして、私はその希望を持った若者が、諦めてしまわぬよう、壁にブチ当たって悔しい思いをしたとして、ラクな渋滞の道を選ばないように、自分の人生という小船の推進力、すなわちオールという武器を授けたいと思う。

私の話は武器、オールだ。知っていれば使える。良くも悪くも使える道具だ。銃と同じで、どう使うかによって、人を殺してしまうこともあれば、人を助けることもできる。自分を殺すこともできる。力とは、道具だ。いざという時に使い、その時まで磨いておく。そして、日頃身につけていることで、貴方の身を守ってくれる。力は、神社のお守りより、ずっと効果のあるお守りになる。

今日、手に入れられるカンタンな力は教えない。難しく一生かけて磨かなければならない力であり、ほとんどの人が認識していない、理解していない、強大な力のタネを教える。この力は、学校では教えてくれなかったかもしれない。一斉によーっいどんで磨くモノではないから、早く磨いていたものが、早く遠くへ行ける。すでに磨きはじめている同年代も、年下の子も少なからずいるということを忘れないでほしい。それを分かった上でなお、自分の人生のオールを磨かず、オールを他人に任せ、渋滞に安易に逃れることを選んでも構わない。私の人生ではない。貴方の人生は、貴方が選ぶべきだ。

前置きが長くなって申し訳ない。本題の「人生無双に近づく3つの力」について列挙していく。

①矛盾する力を受け入れる力

②幻想・虚構・フィクションという力

有機生態系の力

この3つの力に集約してみる。どういう事だろうと、考えて欲しい。想像して欲しい。今日は全ての解説はできない。長い旅になるからだ。しかし、この旅を続けたいと思う。なぜなら、誰かの人生を少しでも前進させるオールになると信じているからだ。約束する。この旅に付き合ってくれたら、きっと私にも貴方にも豊かな未来が待っていると。

他にも大切な力は、無限に存在するのだが、大体は、この3つの力の枝葉に過ぎないと考えている。枝葉はキレイだ。ゆらゆらとそよ風にゆられ、目を奪われる。しかし、それを生み出しているのは幹であるということを忘れてはならない。枝葉を見て、幹のことを考えられるのが本質思考と呼ばれるものだ。これは「①矛盾する力を受け入れる力」で詳しく話せればいいなと思う。

ここまで書いておいて、具体的な話はまた後で、なんてひどいと思うかもしれない。そして私の語り口が生理的にムリと思うかもしれない。その人のために、この考えに至った先人たちの知恵の結晶、本を紹介したい。手っ取り早く知りたい、または私がムリな方、相性が悪そうだなと思った方は、こちらを参考にして欲しい。(ここまで付き合ってくれたことに本当に感謝する。ありがとう。)

①の参考書『あわいの力/安田 登』

 

②の参考書『サピエンス全史・上/ユヴァル・ノア・ハラリ』

 

 

③の参考書『複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)/M.ミッチェル ワールドロップ』

 

次回以降の、具体的な話に入る前に私の話を少ししておく。私は20代後半の社会人である。自分で失敗しないと気付かないタチで、バカたれだったので、いくつもの地獄を見てきた。そして、家族や周りの友人、大事な人たちに心配と迷惑をかけてきた。今、文章を書いている2021年3月27日時点で、私は身体と心を壊してしまって、休職中である。そこで地獄を見る日もいく日かあった。人より失敗している分、その時にかけてもらったコトバとか、本とか、音楽とか、色んな救いの手が、よく身に染みていると感じている。だから、私は、この救われた手やバトンを、若い貴方に届けたい。貴方は私のように失敗していないかもしれないが、心のどこかでモヤモヤしながら、押し殺して、新生活に臨もうとしているはず。私も上京した経験があるからよくわかる。

そのモヤモヤから晴らしてくれる最強の方法は、ついに29歳までなかった。ではどうすればいいの?私は思う。答えは全てだ。今、私がこうして文章を書いて、なんとか若き日の自分の向こうにる貴方に伝えようと努力しているのも、今に始まった事ではない。生きてきた中で、その時その時一生懸命考えて生きてきた。そのバトンがあったから、拾い集められて、文章にできて、貴方にバトンがつなげるのだと思う。ここまで読んでくれた貴方にも感謝したいが、過去、死なないで一生懸命生きてくれた若き日の自分にもありがとうと言いたい。

きっと貴方も未来の自分から感謝される日が来るはず。

春の匂いは、毎年、あたたかく、新しい自分を迎え入れてくれる。そんな気がしている。私も始める。貴方も始める。そんな良い季節になればと嬉しいなと思う。

※現在は、だいぶ身体も心も回復しており、2月の中旬ぐらいから、このように文章を書き溜めている。朝日記という習慣をA4ノート3ページを日課にしており、だいぶ溜まってきているのもあり、少しずつタメになりそうな武器をここに紹介しようと思う。仕事復帰するまでの数ヶ月、私は貴方に全力で向き合えたらいいなと思っている。よろしくお願い致します🤗