苦しみから逃げてたら、一番苦しい道で戦わざるを得なかった男のバカ話➖苦バカkurubaka➖

略して、『苦バカ(くるバカ)』。笑ってやってくれると、学んで先に進んでくれると嬉しいです。

人生無双の道 第2関門「②幻想・虚構・フィクションという力」

2つ目の力。「②幻想・虚構・フィクションという力」。

初めましての方は、この先を読むにあたって、まず前段のお話に目を通していただければ嬉しいです。
※以下の内容は、今年4月に大学生になる従兄妹に向けて、今自分が伝えられる最大限をまとめたものです。実際に話した後に気づいたことも、編集して文章に織り込んでおります。

 

kurubaka.hatenablog.jp

 

つかみどころのないこの力を認知、すなわち気づいたかどうかで、人生が変わってしまう強烈な力である。知っているだけで人生が変わる。なんて、使い古されて、もはや価値のないコトバにも聞こえて残念なのだが、私の人生は、この力によって一変したのは間違いない。そして、私のように電撃の走るような経験をしたくば、私の文章を読んでいる場合ではない。原典に当たって欲しい。

『サピエンス全史』は、上巻だけでも十分、この力を理解できるし、物事の見え方が、それまで過ごしてきた世界と変わったように感じるはずだ。優れた本には、書評や解説動画が世に転がっているが、是非、原典である本に当たって欲しい。どうやっても、分かりやすかったとしても、原典を超えられないというのが世の常だ。百聞は一見に如かず。貴方が20歳、または若い世代なら、読んで、調子に乗っていそうな大人にこう言ってみればいい。

「〇〇さん、サピエンス全史って読みました?わたし、今上巻を読んでいるんですけど、あれ面白いですね!」

このコトバの反応で、その人のおとな度合いがわかる。まず、読んだか読んでいないかで、知的好奇心がどのくらいあるかがわかる。サピエンス全史は、つい最近累計発行部数を100万部突破したようだ。ベストセラーは間違いない。しかし、日本人口の1%の人しか読んでいない。読んだ貴方は、そのふるいにかけることを許される。

知的好奇心とは、ツラの皮膚の厚みのことだ。(極端)知的好奇心がある人は、皮膚の厚みが薄く、他人の意見(それが部下のものだったとしても)聞き入れてくれやすい。

そして、読んだかどうかで、その人の誠実さが分かる。自分のために努力できる人なのか、どうか。読んでいる人は、もちろんツラの皮膚が薄い。

そして、読んでもないし、知ってもいない、けれど詳しく聞かせてと言ってくる大人もいる。彼らは開放性が高く、努力は怠るかもしれないが、世渡りが上手な大人だ。この人もツラの皮膚が薄い。

※知的好奇心、誠実性、開放性のような話は、メンタリストのDaigoさんのビッグファイブの話を調べると、面白いと思う。

そして、それらの逆を行く人たちは、ツラの皮が厚く、人の意見を受け入れるのには時間がかかる。カサカサの皮膚には、もはや化粧水が絶望する状態になっている。この状態のことを世の中は、おじさん、おばさんと呼んでいたいたりする。笑ってみている貴方も気をつけなくてはならない。時間の経過は皮膚を厚くする。脱皮しなくてはならないが、その話はまた今度にしよう。

話が逸れたが、サピエンス全史を読むことは、価値があるということは私が保証するが、そうは言ってもブログをみているんだから、端的に教えてくれよ、ということもわかっている。一言で言いたくないが、あえて一言で言うならこうだ。

「人間は幻想・虚構・フィクションの力を知った唯一の生物だからこそ、地球上の支配者として君臨している。そして、その力を利用できたものが、多くの人間の上に立つことができる。」

後半は私の解釈も若干入っているが、端的に言うとこうなる。

 

そして、もう1冊。『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』は、実に実用性の高い本だと私は思う。どんなビジネス本を買うより前に買うべき本だと思う。サピエンス全史が「②幻想・虚構・フィクションという力」の有用性を歴史的、人類史的に、読み解いてくれるので、その後に、この実用書を読むコンボが最強であると考えている。

そして、実はこの本は5章までWEBで無料公開されている。大体、私はこの力を誰かに説明するときにサピエンス全史を口頭で解説し、ふろむださんのこの本を紹介し、あとでLINEでリンクを送っておくというコンボ技を使っている。コスパの良いやり方だと思っている。本を買うのは、本人に任せることが多い。しかし、サピエンス全史読んでからの、ふろむださんの本を5章まで読んだら、大体は欲しくなってしまうのだが、笑。私は買っては、人にあげたりしている。余談だが、ロングセラーの本は、大体同じ人がプレゼント用にことあるごとに買っているからロングセラーになっているんだとその時に体感した。私はどうやら、おじさんの道へちゃんと向かっているようだ。

この本に書かれていることは「錯覚資産」についてだ。運より、実力より、この錯覚資産の有無が、人から選ばれる、力があるように感じてしまう、そういうことが書かれている。

ぜひ、私の文章より良質な2冊の文章を読んで欲しいのだが、ここまで読み進めてくれた貴方に私の考えを伝えたい。

幻想・虚構・フィクションは、人と人を分かり合えるようにする道具であり、人と人を分かり合えなくする道具でもある。国という概念は、日本人の連帯感を生むかもしれないし、他国との差別を生むかもしれない。お金の切れ目は縁の切れ目であり、雇用関係は赤の他人を家族同然にもする。母校は胸を熱くさせる故郷かもしれないし、妬みひがみの対象になるかもしれない。

どう生きたって人間は、幻想・虚構・フィクションの下で生きることしかできない。貴方が幻想・虚構・フィクションに対してできることは2つだ。

「他者や他社がつくった幻想・虚構・フィクションの下で生きる」か、「貴方が幻想・虚構・フィクションという力を使って、あらゆる自分に降りかかるこれらを時に上書きし、生きていく」か。

他人に囚われない生き方は、後者だ。他人に囚われない生き方ができるようになると、逆説的だが、大事な他人に囚われて生きていくこともできる。もちろん囚われないで一生生きていくこともできて、それもたくましいことだが、大事な人だけに囚われるのも悪くない。恋は盲目。誰かがそう言っていた。

誰に恋したっていい。ただ、その恋心を悪用する人たちにだけは、ハマってほしくない。信じていたものが崩れる瞬間、信じていた私自身も崩れる気がする。前者の人生は、その瞬間に立ち会うことが多くなることを覚悟しておくといい。それが嫌なら貴方自身の手で、幻想・虚構・フィクションを書き換える力を持つべきだ。

貴方を虜にしている、幻想・虚構・フィクションはなんであろうか。おそらく、当たり前すぎて、気付けないことも多いはず。信じていることを疑う作業は、信じていることにフォーカスしていると気付けない。信じているものに対して、矛盾はないかチェックすると意外にも気付くことがあるはず。ここで①矛盾することを受け入れる力が役立ってくれるはず。

少し、今という時代について話す。昨日まで大好きだった人が、夜が明けたら嫌いになっているということが、よく起こる社会になった。炎上という現象だ。しかし、これはよく考えてみて欲しい。報道があって、ニュースになって、嫌いになるなんてあって良いことなのか?昨日までの好きだった、尊敬していた、あの気持ちは嘘になるのか。0になってしまうのか。私はそうでないと思う。

炎上するようなことが起きて、正しい自分の感情は、「大好きだけど、何やってんだよ。そんなことするなんて嫌いだ。」ではないか。好きと嫌いは、同居できる。これも①矛盾することを受け入れる力かもしれないが。世の炎上騒ぎには、本当に好きだった人たちの感情が報道から欠落しているので違和感を覚える。メディアに出ている否定派も、肯定派も、便乗商法の片棒を担いだ人間様だ。本当に好きだった人は、呆然と立ち、受け入れられない矛盾した感情を噛み締めて、自分の人生を生きているはずだ。自分の影響できる範囲を弁えて(わきまえて)いるからだ。ジタバタしたところで事態は変えられないとすれば、できることは、噛み締めて、受け入れて、潔く前に進むことだけだ。

幻想・虚構・フィクションという力、時として、人の人生を狂わしかねないものを持っている。取扱注意であり、用法用量を守らなければ、依存という状態になりかねない。一方で人を幸せにすることもできる、目には見えないが確かな力だ。

私の好きなコトバがある。「仙人は霞(かすみ)を食って生きている」。人間がこれまでも進化し、これからも進化を続け、その先の人類は、霞を食べるだけ生きていっているのかな、そんな妄想もしてしまう。食べられないものを食べられるから、人間は人間らしくいられるのかもしれない。

ただ 空々しさの中
夢を見る

ああ 僕らは
いつまでも間違ったまま
世界を変えて走り出す
ふざけた愛しみを味わったまま
やめない意味は
いつの日も寂しさだ

サピエンス/星野源